機関沿革

COFI日本事務所40年の歩み

1973年(昭和48年) 東京都港区ホテルオークラ内にCOFI日本事務所設立準備室開設
1974年(昭和49年)1月 デビッド・グラハム氏 初代日本代表に就任。
カナダ大使館職員宿舎COFIデモハウスを東京都港区南麻布に建設し、2x4工法の紹介を行う。
同3月カナダ・ブリティシュコロンビア州林産業審議会東京事務所オープン。
同7月枠組壁工法が建設省告示によりオープン化される。
同3月 カナダ・ブリティシュコロンビア州林産業審議会東京事務所オープン。
同7月 枠組壁工法が建設省告示によりオープン化される。
1976年(昭和51年)5月 (社)日本ツーバイフォー建築協会が設立される。
1977年(昭和52年)10月 2x4住宅普及事業として2x4キャラバンがスタート。東京銀座ソニースクエアでキャラバンのスタートを祝う式典を開催。
2x4キャラバンは1981年6月まで、約4年間にわたり全国25都市・36会場で開催され総来場者数は6万人を数え、2x4普及の大きな原動力として貢献した。
1978年(昭和53年)5月 マイケル・ガルブレイス氏 2代目の日本代表に就任。
1979年(昭和54年)3月 日加2x4住宅カナダミッション第一次実施。以後82年までの5回にわたり建設省関係者によるカナダ住宅視察を企画、日本における2x4工法の考え方に大きな影響を与える。
1984年(昭和59年)6月 ジョセフ・P・キャロン氏  3代目のアジア地区総代表に就任。
1987年(昭和62年)3月 木材関連として初めて、JAS全般に関しても2番目の農林水産省指定外国検査機関(FTO)として指定を受け、海外からのJAS製品供給に対してもいち早く対応した。このFTOを通じて1990年11月までにBC州の12工場が構造用合板のJAS認定工場となる。
同7月 ジョン・M・パウルス氏 4代目アジア地区総代表に就任。
1990年(平成2年)11月 日米加建築専門家委員会(建設省)および日米加JAS技術委員会(農林水産省)がスタート、以後毎年開催され国際的な技術問題の検討がなされている。
1991年(平成3年) カナダ・アルバータ州の林産企業がCOFIの活動に参画する。
同10月 製材および集成材に関するFTOの指定を受ける。
1993年(平成5年) カナダ・ブリティシュコロンビア州林産業審議会がカナダ林産業審議会に改称される。
1994年(平成6年)10月 COFIアジア地区総代表ジョン・M・パウルス氏が外国人としてははじめて建設大臣表彰を受ける。
1995年(平成7年)1月 エドワード・T・松山氏 5代目日本代表に就任。
1996年(平成8年)7月 COFIの格付け機関が適合証明を行う構造用製材がツーバイフォー工法に用いる建築資材として建設大臣による通則認定を受ける。
1998年(平成10年)10月 COFIバンクーバー本部の副理事長ケン・A・マッキーン氏が外国人として二人目の建設大臣賞を受賞。
2000年(平成12年)6月 カナダNLGA格付規則で格付けされた構造用製材に建設省が基準強度を指定。
2001年(平成13年) 農林水産省の最初の登録外国認定機関として登録される。
2002年(平成14年) 受け材を省略した合板横張り耐力壁に壁倍率が国土交通省より認定される。
2003年(平成15年)~ 2004年(平成16年) COFIが日本ツーバイフォー建築協会と共同で枠組壁工法の外壁、間仕切り壁、床、屋根および階段について木造初の耐火構造認定を国土交通省より受ける。
2003年(平成15年)11月 東京都港区虎ノ門のCOFI事務所にBCウッド、カナダ合板協会、カナダツガ・パートナー協会、ケベック木材製品輸出振興会が加わり、カナダ全土を代表する日本で唯一のカナダ林産業連合組織「カナダウッド」設立(その後、APAエンジニアードウッド協会が参加)。
2003年(平成15年)12月 ディビッド・リッチフィールド氏6代目日本代表に就任。
2007年(平成19年)2月 農林水産省がJAS格付け製品の認証システムとしてISO/IEC Guide 65 を採用したことを受け、カナダの3つの登録外国認定機関の品質管理手法の変更を終える。
2007年(平成19年)4月 ショーン・ローラー氏7代目日本代表に就任。
2012年(平成24年)1月 2011年3月11日に発生した東日本大震災の被害からの復興を支援するため、カナダ連邦政府およびブリティッシュ・コロンビア州政府から450万カナダドル(2012年1月15日の為替レートで約3億3833万円に相当)を取り付け、カナダ―東北復興プロジェクトの提案募集。

概要

日本におけるツーバイフォー工法(枠組壁工法)という日本の木造軸組工法とは異なる海外の建築工法による建築の普及・促進・浸透の中で、古くはツーバイフォー・キャラバン、日加ツーバイフォー住宅ミッション、カナダタウンハウス視察団派遣等を実施し、日本におけるツーバイフォー工法の導入・オープン化、そしてその普及・促進活動を行ってきました。加えて、日本・カナダ両国間で定期開催している日加住宅委員会、および日米加建築専門家会議のカナダ側メンバーとして、技術情報の交換、日本とカナダの相互理解の促進に努め、日本のツーバイフォー建築の振興にあたり常にカナダ政府・業界を代表する形で両国間の橋渡し役を担っています。
 

ツーバイフォー工法による試行建築COFIハウス(カナダ大使館職員住宅)建設

カナダ政府は、日本政府がツーバイフォー工法導入に関する検討を進める中で、①カナダからのツーバイフォー・フレーマーを始めとした同工法に関する専門家の派遣、②デモンストレーション・ハウスの建設、③日本の関係者のカナダへの派遣、④研修・訓練の実施、の四点の必要性を提言しました。その中でCOFIハウス(力ナダ大使館職員住宅一東京都港区南麻布。建て替え済み)の建設は①のフレーマ一派遣による実演と、②のデモンストレーション・ハウスの建設、といった二つの目的をもって計画されたものです。COFIハウスの建設に関しては、ツーバイフォー工法オープン化を直前に控えたタイミングの中で、日本の建築業界のツーバイフォー工法に関する関心を高めるのに大きく貢献しました。なお、この時期、建設省がカナダの製材規格と建築基準の調査のために派遣した日本建築センターの調査団(杉山英男氏、後藤威氏、山井良三郎氏、坂元喜成氏、鈴木康之氏からなるミッション)に関してもさまざまな現地での手配を通じて同工法の基盤整備を進めるうえで大きな成果が得られました。
 

ツーバイフォー・キャラバン

1974年(昭和49年)7月27日にオープン化され、急速な伸長が期待されたツーバイフォー工法でしたが、実際の足並みは緩慢で、生産環境の醸成が不十分であるとの指摘がなされていました。このためカナダ林産業審議会は建設省との問で1977年1月にカナダ・バンクーバーにおいてこの問題に関して協議し、席上日加共同による「ツーバイフォー普及運動」の実施についての取り決めが行われました。ツーバイフォー・キャラバンはこのような両者合意に基づいた事業で、全国で、ツーバイフォー住宅の見本建築とその住宅の展示を内容としており、1977年(昭和52年)10月22日に当時の高橋弘篤建設事務次官(長谷川建設大臣の代理)、ランキン駐日カナダ大使、坪井東日本ツーバイフォー建築協会会長の三名がテープカッターとして参加する中、東京・銀座でオープニング・セレモニーが開催された後、1981年(昭和56年)6月の神戸市岡名谷団地における最終イベントに至るまで、全国25都市、32会場、モデルハウスの建設102棟、展示住宅への来場者数総計6万人という実績を残して、ツーバイフォー工法の普及・促進に多大な貢献を残しました。
 

日加住宅委員会

日加住宅委員会は日加両国の住宅建設目標を達成する上で、両国政府と産業界が当面する問題を、官民合同で技術的側面のほか、財政的、社会的側面について、広範囲に経験を交換する目的で1974年より開催されています。日本側主催者は、第1回から第4回の会議までは、建設省、農林省林野庁、通産省(事務局は日本建築センター)が務め、5回以降も日本側代表団長は建設省住宅局長あるいは審議官、担当課長等が務めています。カナダ側は通常CMHC(カナダ政府住宅抵当公庫)総裁が団長役を務め、NRC(力ナダ国立科学研究機構)、カナダ林産業審議会、FORINTEK(カナダ林産試験場)等が毎回参加しています。この会議の大きな成果のひとつとして、1991年(平成3年)の第10回会議(カナダ・オタワ開催)において、力ナダで開発された高気密・高断熱住宅建設システムであるR2000がカナダエネルギー鉱山資源省から日本ツーバイフォー建築協会に技術供与された事が指摘できます。この動きが日本の住宅建設のなかでその後高気密・高断熱化の先鞭となりました。このような日本の住宅産業界にとって新技術の導入の場として日加住宅委員会の果たした役割は大きいものですが、これらは日本の住宅産業界の動向を熟知しつつ、かつカナダでの技術開発状況を広く把握しているスタッフの協力無くしては実現し得ないものでした。
 

日米加建築専門家会議(BEC: Building Expert Committee)

1990年(平成2年)から毎年開催されている日米加建築専門家会議は三国のそれぞれ政府・民間が一同に参加して技術情報の交換と新たな政策への取り組みを論議する場となっています。この会議での意見の交換が建設省の規制緩和の施策の一つのきっかけとなった事、そしてその施策遂行のバックボーンとなった事はカナダにとっても大いなる成果といえます。住宅建設に関わる規制緩和は住宅の現性能を担保した上でより以上の性能要求を希求しつつ、実現されなければなりませんが、COFIの技術情報提供と日本市場への深い理解が無ければ実現はむずかしかったかもわかりません。
 

その他

1977年(昭和52年)から1980年(昭和55年)にかけて3次にわたって行われた「米加住宅研修視察団」、また1980年(昭和55年)から1982年(昭和57年)にかけて5次にわたり実施された「日加ツーバイフォー住宅ミッション」、加えて1980年(昭和55年)から1985年(昭和60年)にかけて6次にわたって実施された「カナダ タウンハウス視察団」といったツーバイフォー工法の技術習得視察団がカナダを訪問しました。日本における製材品の規格改正、新規規格の制定等にあたっては、つねにCOFIがカナダ側の最新の情報の提供を行うという重責を果たしてきました。
(写真の一部は日本ツーバイフォー協会兵庫支部1987年発行「ツーバイフォー」Vol. 9から、また本文の一部はケン・A・マッキーン氏の建設大臣賞推薦文から転載させていただきました)